one fine day in september
9月のある晴れた日
*小さなキッチンで起きた小さな死。
キッチンというのはとてつもなくその持ち主自身が現れる場所だと思います。
だからこそ、私はとても恥ずかしいとは思いながらも、人にキッチンを使わせるのも多いタイプの人間です。
うちはよく人が来る家で、しかも大体の方は料理が好きだったり、手伝い上手だったりするので、
ついつい甘えてしまう訳です。
色んな愛着のある、また腐れ縁のような道具があり、毎日毎日、家の中で最も長くいる場所。
そんな私のキッチンで今日起こった小さな死について。
だからこそ、私はとても恥ずかしいとは思いながらも、人にキッチンを使わせるのも多いタイプの人間です。
うちはよく人が来る家で、しかも大体の方は料理が好きだったり、手伝い上手だったりするので、
ついつい甘えてしまう訳です。
色んな愛着のある、また腐れ縁のような道具があり、毎日毎日、家の中で最も長くいる場所。
そんな私のキッチンで今日起こった小さな死について。
先日、新しい計量カップを買いました。
350mlの小さめのもので、今まで使ってきていた500mlに比べるとまあ、ちょっと小振りながらもデザインと使いやすそうな感じが気に入って、なんとなく買ったもの。
今までの私の相棒はプラスチックの何の変哲もない500mlの計量カップ。
どこで買ったのだかすら忘れましたけど、その前に二回続けてパイレックスのガラスの計量カップを割った荒々しい私の使い方に耐えうるという理由だけで必要に駆られて買われたもの、だと記憶しています。
けれど、これとっても使いやすくて、それでもちょっと欠けたりしながらも(どんだけ荒いんだか)この計量カップはもう何というか、手に吸い付く感じで計りやすくてもう「あ・うん」の呼吸みたいなのが私たちの間にはあるかのよう、でした。
そんなわけで、新しい計量カップは、おろされるタイミングを失ったまま、いつも計量カップを引っ掛けてるフックに掛かったままになっていました。
そんな中、今日は来週の暮らしを愉しむ会のランチの試作をしていました。
また古い計量カップをいつものように手に取って使って、洗って、乾かそうとした時に手が滑って、テラコッタタイルの床に落ちてしまいました。
手から落ちた瞬間、あ!と思ったけど(「ま、いつものことだけど、割れないし」)と思ったのと、いつもとは明らかに違う鈍い音がしたのがほぼ同時。
なんとなく嫌な予感がして、慌てて手に取ると、上から下まで、しっかり割れていました。
そのとき何とも言えないきもちになりました。
「そうかー。もうお前を使えないのね・・・。」
新入りの計量カップが来たのを知って自ら身を引いたのか、それとも、もう傷だらけでお役御免を待っていながらも最後まで主人の仕事を助けることに忠誠を誓っていたのか。
いずれにしても最期の時を迎えて、役目を終えた計量カップは、見事にそのカップ人生を全うしたのでした。
台所道具というのは、今や実に様々です。選択肢は山ほどあります。
けれど、スタイリッシュなデザインやブランドに惹かれて買っても「あれ、いまいちで・・」なんてこともあると思うのです。
なんとなく手に馴染まない、そんなことだって全然あると思うんです。
なぜってキッチンスタイルはひとそれぞれ。
自分のキッチンスタイルに合うかどうか、それが全てですから。
どんなに人気のある由緒あるブランドのものでも無用の長物になることもあるし、名もないメーカーのなんてことのない調理用具が自分にとって何となく手放しがたい無二のものになることもあるのです。
私のキッチンにはそういった名もないメーカーの、でも、わがやでは主役級の調理用具達が沢山現役で働いてくれています。
新婚でお金も何もなかった頃にホームセンターで買ったやかんや、子供達の離乳食を作る為に毎日のように使ったすり鉢や、はたまた祖母が使っていた30年以上前の胡麻煎り器や、そういったもの。
そう言ったものの方が、何となく手放せない、そんな気がしています。
お役御免になったひび割れた計量カップ。
あれで作った料理は数知れないな。失敗したことも沢山。
もし、言葉がわかるなら、言ってあげたい。
今まで、ありがとう。乱暴な主人にいっぱいつきあってくれて、ホントありがとね、って。
350mlの小さめのもので、今まで使ってきていた500mlに比べるとまあ、ちょっと小振りながらもデザインと使いやすそうな感じが気に入って、なんとなく買ったもの。
今までの私の相棒はプラスチックの何の変哲もない500mlの計量カップ。
どこで買ったのだかすら忘れましたけど、その前に二回続けてパイレックスのガラスの計量カップを割った荒々しい私の使い方に耐えうるという理由だけで必要に駆られて買われたもの、だと記憶しています。
けれど、これとっても使いやすくて、それでもちょっと欠けたりしながらも(どんだけ荒いんだか)この計量カップはもう何というか、手に吸い付く感じで計りやすくてもう「あ・うん」の呼吸みたいなのが私たちの間にはあるかのよう、でした。
そんなわけで、新しい計量カップは、おろされるタイミングを失ったまま、いつも計量カップを引っ掛けてるフックに掛かったままになっていました。
そんな中、今日は来週の暮らしを愉しむ会のランチの試作をしていました。
また古い計量カップをいつものように手に取って使って、洗って、乾かそうとした時に手が滑って、テラコッタタイルの床に落ちてしまいました。
手から落ちた瞬間、あ!と思ったけど(「ま、いつものことだけど、割れないし」)と思ったのと、いつもとは明らかに違う鈍い音がしたのがほぼ同時。
なんとなく嫌な予感がして、慌てて手に取ると、上から下まで、しっかり割れていました。
そのとき何とも言えないきもちになりました。
「そうかー。もうお前を使えないのね・・・。」
新入りの計量カップが来たのを知って自ら身を引いたのか、それとも、もう傷だらけでお役御免を待っていながらも最後まで主人の仕事を助けることに忠誠を誓っていたのか。
いずれにしても最期の時を迎えて、役目を終えた計量カップは、見事にそのカップ人生を全うしたのでした。
台所道具というのは、今や実に様々です。選択肢は山ほどあります。
けれど、スタイリッシュなデザインやブランドに惹かれて買っても「あれ、いまいちで・・」なんてこともあると思うのです。
なんとなく手に馴染まない、そんなことだって全然あると思うんです。
なぜってキッチンスタイルはひとそれぞれ。
自分のキッチンスタイルに合うかどうか、それが全てですから。
どんなに人気のある由緒あるブランドのものでも無用の長物になることもあるし、名もないメーカーのなんてことのない調理用具が自分にとって何となく手放しがたい無二のものになることもあるのです。
私のキッチンにはそういった名もないメーカーの、でも、わがやでは主役級の調理用具達が沢山現役で働いてくれています。
新婚でお金も何もなかった頃にホームセンターで買ったやかんや、子供達の離乳食を作る為に毎日のように使ったすり鉢や、はたまた祖母が使っていた30年以上前の胡麻煎り器や、そういったもの。
そう言ったものの方が、何となく手放せない、そんな気がしています。
お役御免になったひび割れた計量カップ。
あれで作った料理は数知れないな。失敗したことも沢山。
もし、言葉がわかるなら、言ってあげたい。
今まで、ありがとう。乱暴な主人にいっぱいつきあってくれて、ホントありがとね、って。
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